↑ F-4C/63-7693 /196th TFS。ベトナム迷彩の一連の写真↑↓は全て1983年9月にマーチ空軍基地で撮影されたものである。
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↑ 同じくマーチ空軍基地における196th TFSのF-4C/63-7655。この機材は、1986年にオレゴン州空軍の第123戦闘迎撃飛行隊から移籍したもの。
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F-4C 196th TFS / Califonia ANG
(F-4C 1982~1987)
2019年12月 我々はマーチ空軍基地でMQ-9 リーパーの飛行を目にしたが、この無人機飛行隊となった部隊は、嘗てF-4ファントムを配備していた戦闘機部隊だった。第196戦術戦闘機中隊の創設は、第二次大戦中に遡るが、カルフォルニア州区空軍として活動を始めたのは1946年で、ノートン空軍基地でP-51ムスタング戦闘機の配備を受けて活動を開始している。1970年代は、F-102デルタダガーの迎撃戦闘機部隊として、現在リーパーにも書かれている”4つの星と青いライン”が有名であった。1982年にこの項でご紹介するF-4Cに機種更新して、部隊はマーチ空軍基地に移動し、2023年現在も此処を本拠地にしているこの飛行隊は1982年から1993年までF-4ファントムを12年間使用したが、その間にC型~E型~RF-4と種類のファントムに乗り換えた珍しい部隊でもある。因みにC型は、1982年から6年間使用している。
↑ F-4C/63-7693 1985年5月撮影
↑ F-4C/64-0682。そしてC型最後の迷彩パターンが、ヒルグレーと呼ばれる制空迷彩である。何故ヒルグレーか?・・それはヒル空軍基地に最初に配備された新鋭のF-16A/Bに施された制空迷彩が基準となったからである。只、この写真は1987年に撮影されたものであり、1990年迄ヨーロピアン-1の塗装が残っていた事から、同飛行隊もこの時点では迷彩パターンが統一されていた訳でもないようである。
↑ マーチ空軍基地における同隊のF-4C/83-7516。同飛行隊は、オレゴン州東部のオンタリオ空港を本拠地にしてF-102Aの迎撃飛行隊であったが、ベトナム戦争後の環境団体と反戦ムードの中、戦闘機を手放しO-2A/B偵察機の飛行隊として活動していた。1982年10月F-4Cを受領後は、本拠地をマーチ空軍基地に移し、戦術戦闘機中隊として蘇っている。
↑ F-4C/64-0923。こうして1983年に撮影された一連の所属機の迷彩を見ると、各地州空軍や訓練部隊からの寄せ集めにも拘らず、ベトナム迷彩の色合いや塗装パターンは比較的統一されており、此処に集められる直前か移管された後に統一的に再塗装が施されたことが想像できる。
↑ 駐機する196th TFSのF-4C/63-7686。マーチ空軍基地はカルフォルニア州の南部リバーサイド郡にある広大な敷地を持つ空軍基地である。現地は、赤い大地とゴツゴツした山肌の山地もある砂漠地帯に属する場所で、この地をモハービ砂漠の延長と見る人も多い。騒音問題もなく、天候は安定しており、空軍基地としては良い環境にある。
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↑ F-4C/63-7569 1987年撮影。アメリカ空軍の迷彩の主軸がヨーロピアン-1に統一され始めると、戦闘機から大型輸送機まで皆↑のような、濃いグリーン系の迷彩となった。この頃のアメリカ空軍の想定主戦場は、ソビエト連邦と対峙するヨーロッパ地域であり、その環境に合わせた迷彩の変更であった。
↑ F-4C/64-0682。尾翼を飾る4つの星とカルフォルニアと書かれた青いベルトは、オンタリオ空港時代のF-102Aデルタダガー時代のマーキングを継承しており、1987年にF-4E型に転換後も継承している。そして2019年時点でも、使用中のMQ-9 リーパーにも引き継がれていた。
↑ 同じくマーチ空軍基地における196th TFSのF-4C/63-7559。第196戦術戦闘機中隊は、1982年から1987年までの足かけ6年に渡りC型を使用して、1987年からはF-4Eに更新している。この機体は、ベトナム戦に送られて生き残ったファントムの一つである。